有馬記念に全てを賭ける③
回想
芦毛 の馬
時は1990年代前半、バブル崩壊直後のこと。
後に失われた10年、だとか20年だとか形容されることとなる不況のファーストインパクト。
世の中に満ち満ちる閉塞感。
倒産からの夜逃げそして給料未払い。飛び込み自殺によって毎日のように止まる電車。暗いニュースには事欠かなかった。
「諦める」といった言葉が生ぬるく感じるほどの脱力感を、皆が等しく抱えていた そんな時代。
僕はといえば就職活動を控えた冴えない大学生(「就活」という言い回しはまだない)。
学校に行くより、バイトに行く方が多かった。
そのバイトの仲間に誘われ、馬券を買った。少しはびぎなーずらっくもあった。
気がつけば、競馬が少しだけ好きになっていた。
その頃僕はある一頭の馬が好きになっ・・いや気に入ったんだ。
その馬を実際にこの目で見たのは中山競馬場の皐月賞が初めてだった。
人生初の当たり馬券から約半年、僕は毎週のように競馬場へ通うほどの競馬ジャンキーに成長?していた。
その馬はとにかく安心して買うことができた。
当時の馬券は1着と2着を当てる「馬連」が主流で、馬券目当ての当時の僕には、必ず2着までにきてくれるこの馬ほどありがたい存在はなかった。
その馬の名は ビワハヤヒデ
皐月賞直前までで、6戦4勝 2着2回。
その2着というのは朝日杯(GⅠ)と共同通信杯(GⅡ)、どちらもハナ差で勝ちを譲っている。
普段のレースでは強い勝ち方をしておきながら、大きい舞台になるとなぜか勝ちきれない。
それでいて、連対率(1着か2着に入った割合)は信頼の100%。
強いのに嫌味がなく、どこか憎めず応援したくなる芦毛の馬だった。
ビワにはこの皐月賞だけでなく、ダービーでもお世話になった。馬券的に。
ご存知かもしれないが、ビワはどちらも2着だった。
ここまででビワは8戦4勝 2着4回。
勝率50%、もう半分は2着。
GⅠに限ると、3戦して1着0回 2着3回
立派に「シルバーコレクター」を名乗っても恥ずかしくない数字だし、実際そのように
ちなみにかの有名な「ブロンズコレクター」は(その
自分の当たり馬券に貢献してくれるという理由で気に入っていたビワハヤヒデのことを、次第に応援せずにはいられなくなってきていた。
(なんとかビワにGⅠで1着を)
夏明けのビワは神戸新聞杯から。
皐月賞・ダービーではどちらも2番人気だったが、ここからビワは引退するまで、1番人気を背負い続けることになる。
ダービー直後にビワの話をすると、「あー、あの勝負根性のない馬ね」などと言われる話の流れがよくあった。腹が立っても、何一つ言い返せず悔しい思いをしたものだが、夏が終わると3強の一番手に推されていた。
自分が(個人的な理由で)応援している馬を、だんだんみんなも認めてくれるようになるのは悪い気がしなかった。
また、「夏に精神的にも大人になった もうメンコはいらない」という新聞記事を読んだ。このレースからトレードマークであった赤いメンコをつけずに素顔で走るようになる。これも脳内ビワ応援団長にはうれしさ
ただ、これがきっかけで大変なことが露見してしまう。